社長ブログ

パラの感動

今回は、味噌とは離れた話題です。
東京オリンピックとパラリンピックが終了しました。

開催したことの是非については、様々な議論がありますが個人的には、競技を観戦して得られた感動や気付きをプラスのものとして大切にしていきたいと思います。

特にパラリンピックを見ていて、障害者スポーツについて自分の認識の無さを改めて痛感すると共に、「多様性の中で競い合うことの意味」について考えられました。

障害の程度により区分けがなされ、公平性を確保するルールも設けられていますが同じ区分の中でも障害の程度には差があり、特に個人種目ではそれが勝敗に影響するのではと思います。

また義足等の補助器具の性能の差も勝敗に係わります。
更にはパラアスリートを支える環境にも国毎に差があります。
環境のハンディはオリンピックでも言える事ですが、パラリンピックの場合にはそれが極めて大きと言えましょう。

ルールや仕組み作りでは完全に解決出来ない違いの存在を前提に競技をして順位を付ける、0.1秒や1cmのレベルで比較することの意味は何でしょうか。

公平性が保たれないからと言って順位を付けなければ、パラリンピックの意義や得られる感動は相当減殺されると思います。

公平性が保たれないことを承知の上で、日頃努力をして競い合い、勝って涙し負けて次回を期する選手や笑顔で勝者を讃える選手を見るとこの選手達にとって競い合うことはどんな事なのだろうかと考えてしまいます。

話を広げて「多様性のある社会の中で互いに競い合う」とはどういうことなのでしょうか。
そこで生まれるのは勝ったものが生き残るという従来の競争の結果とは異なる何かではないか?すみません。

自分の思考の世界に入り込んでしまいましたが、マスコミの報道や論説を見ると的外れな問題意識でもないように思います。

これから多様性が益々進む中で、「多様性の中で競い合う」ということを自分なりに考えていきたいと思いました。

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